旬楽館女将・高橋和子が山口新聞に紹介されました。

下関経営者群像 記事
 転機は54歳のときだった。17年間勤めた地元のフェリー会社課長を辞めた。経営母体をめぐる騒動のなか、辞めざるを得なかった。 退職後の自宅。のんびりするのは初めてだ。
旧田万川町(現:萩市)の出身で、姉がいた縁で下関へ。三菱重工業下関造船所の関連会社でアルバイトし、三菱に毎日出入りしているのを見初めたのが夫だった。突然の縁談話。
父親が酒飲み相手にすっかり気に入り、三回会っただけで結婚。二十歳だった。結婚の三日後には働き始めた。
百貨店、履物問屋、スーパー、そしてフェリー会社。その間に二男一女を育て、退職時にはみんな独立していた。

 夫は航行船舶の監督として船に乗り、三ヶ月から半年に一度帰る程度。一人で悠々と過ごすこともできたが、どこか落ち着かない。  第二の人生への誘いは「遊んでいるくらいなら行ってみない?」と友人が見せてくれた県女性起業塾(ワールドウーマンバンク)への誘いだった。
 人に使われる悔しさを、前の職場で体験したばかりだった。起業塾の受講者は三十人弱。高橋さんが最高齢だった。弁当宅配業など先輩起業家の体験を聞きながら「老け込むのはまだ早い」と感じた。これまでの仕事を通じて、経理には精通していた。 友人の助けも借りて、唐戸に「ふぐ料理・季節料理の旬楽館」を立ち上げた。


 金融機関の支店長からは「一日三万円の売上げを達成したら逆立ちして歩くよ」とまでからかわれた。五十五歳の素人のフグ料理店経営。周囲の視線は厳しかった。



 「フグを一人で食べようという勇気は女性にはない。それなら、ふらっと下関に旅行してきた若い女性でも食べられる敷居の低い店を」を基本にした。フェリー会社勤務時代に、船上フグ料理クルージングを企画し、ヒットさせた経験がある。
この時に感じた「なぜフグはこんなに高いのか」の疑問をずっと抱き続けていた。それが、女性でも楽しめるフグ料理店の発想につながった。五千円前後から一万五千円までのフグ料理を設定した。トラフグ、マフグなど素材も正直に客に示した。老舗フグ料理店が並ぶ下関。
旬楽館 館内
当然ながら業界から反発も買った。それでも続けられたのは「下関の地元の人にも、普通の魚と同じようにフグを食べてもらおう」という姿勢だった。



旬楽館 館内  昼間の売りである八百四十円の「おまかせ定食」は唐戸魚市場に上がった新鮮な魚しか使わない。一日六十食をめどに用意するが、多い日には八十食は出るため、最近はこの昼定食にも予約も入る人気ぶりだ。 魚料理の店とは知らずに入った客が「魚は苦手。ステーキを」と無理な注文を出す事もある。そんな時も、店が開いている限り、肉の買出しに行って対応する。
 客の思いを大切にする姿勢が、時に料理長の渋面をうむ。それでも「できる限りお客様のわがままを聞く」スタイルは変えたくない。「お客様に来ていただいて成り立つのですから」。
 創業十年。高橋さんは六十五歳になった。孫は高校三年から小学二年まで六人。夫は現役引退し、この四月から囲碁と図書館通いの日々。



 「仕事が生きがい」になった今、県の経営革新指導を受けて、店のリニューアルに踏み切った。
融資依頼で金融機関を訪ねた時、年齢を確認した職員が顔色を変えて、「ちょっと待ってください」と上司と相談しに奥に引っ込んだこともあった。年齢を意識させられた瞬間だった。


 十七日間の休店を経て、内外装もおしゃれなイメージに一新し、二十九日に十周年のリニューアルオープンにこぎつけた。アンコウを肝の味噌漬けを、全国ブランド化に向けての発信店として、六十五歳の再挑戦がスタートした。 店内の現場では洗い場から配膳、仕込みまで何でも手伝い、2日続きの徹夜もこなす。週一の休みは庭の手入れ、花いじり。
「口ではよく『もう年よ』なんて言うけど、本音は二十代。今までの六十五年間の経験は若い人には無いもの。 六十五年も生きてきて足も痛いし手も痛いけど、それは決して病気じゃない。いたわりながら頑張って」−高橋さんの同世代におくるメッセージである。  

(平成19年8月30日 山口新聞掲載 「この人に聞きたい」下関経営者群像13の記事から抜粋)
 




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