ある年の「ふく供養」の話をしよう。
あいにく、降りしきる雨の中であったが、それでも集まった人びとは四百人を超えていた。会場を飾る大型花輪は百対以上。
地元はもとより、東京、京都、大阪、あるいは札幌、金沢と全国から贈られていて、知名士の葬儀でもこれほどのものは見られない。
築地ふく源、東京さんとも、ざこ万、浅草三浦屋、千葉ふく光、札幌吉蝶、札幌八百亀、金沢小川などと書かれた花輪を一つ一つ見て歩くと、それだけで日本の「ふく処」地図が描けそうだ。
祭壇では八キロもあろうかと思われるでっかいトラフグが大ザラの上で口をぱくぱくと開き、五人の僧りょによる読経を珍しげに見上げる。
最近は水槽で泳がされているが、水の上では読経も聞こえないかもしれない。
祭壇の大ふくは小さな目をキョロキョロさせて、しきりに愛敬をふりまく。
「まずもって、ふくドノに対し」と、当時の下関ふく連盟会長・小野英雄が慰霊のことばを述べはじめると、大ふくは「フムフム」と、うなずく。
「豊後水道のふくの漁獲は前年の約七倍でしたが、ふくドノ、今年は他の海域にも呼びかけて昨年以上の成果があがるよう」とつづける小野会長のことばに耳を傾け、ふくは「ウンウン」とあごで大ザラをたたいた。
祭壇のふくが愛敬の限りをつくしたのは、そのすぐあとだった。
ふく連盟名誉会長でもある下関市長が「ふくドノ、とつい敬称をつけて呼びたくなるのですが、全国に下関の名を高めている点では貢献度ナンバーワン」と、弔辞を読みはじめたとたん、ふくは大暴れ。
頭を振り、腹をゆすり、尾を横なでにゆり動かして、そのあげく、祭壇から転げ落ちてしまった。
焼香は、東京ふぐ連盟会長ら遠来の参列者から始まり、人びとがふくの冥福を祈る長時間は、会場に尺八の音が流れた。
都山流下関涛琳会員十人の合奏で、これは下関唐戸魚市場で常務をつとめた森邦男の好アイデアが生かされたのだと聞く。
そういえば森は知る人ぞ知る都山流尺八の名手で、号を明山という。
式のあとは恒例のふく放流。参列者は観光船に乗り込み、五十匹のトラフグを小雨けぶる南風泊港の海に放った。ふくのシーズンは、この供養祭で一応終わりを告げる。
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